肩をまわすと、筋肉と骨がこすれあい、ゴリゴリと音をたてた。さすがに長時間じっとしているのは、インドア派の忍でも辛い。こりかたまった血流は、ちょっとやそっとのストレッチではどうにもなりそうにない。

「あー、つっかれたぁーーーー」

 見渡すと、赤、金、ブラウン、様々な色味をした頭髪をもつ多種多様な人種が行き交っていた。ここはもう、日本じゃない。なぜだが、ひどく開放感を感じていた。
 くぐりぬけたゲートに振りかえる。真っ黒な髪の青年と、すこし距離をおいて、モデルじみた長身の女性がやってくる。

「恭也、ノエルぅ。こっち、こっちぃ」

 海鳴から遠くはなれたドイツの地を、三人は踏みしめていた。
 


 10時間強のフライトを経て、三人はフランクフルト国際空港へ降りたった。仕事柄、飛行機に乗りなれている恭也は平気だったが、忍はかなり疲労したらしい。前日はたしなめなければいけないほどはしゃいでいたというのに、ドイツの地に踏みいれる頃になると、まぶたをショボショボさせていた。
 そこから、レンタルした車でもって、2時間強のドライブを敢行する。ドライバーは恭也になった。忍は時差ボケと飛行機疲れで散々だったし、ノエルにあまり負担をかけられない。とりあえず、目標となる山沿いにある小さな村に進路をとった。
 助手席には、ノエルがナビゲータとして座ってくれた。彼女ならば、下手なカーナビよりも正確に案内してくれるだろう。車中で、ようやく体調が回復してきた忍が、後部座席から話しかけてくる。

「レンタル料、結構取られたね」
「こんなものだろう? むしろ、これだけの設備が付属しているにしては、割合、安めだと思うんだが」

 慣れぬ左ハンドルではなく、慣れた右ハンドルの車。仕事でもプライベートでも、あれば何かと便利だろうと、彼が車の免許をとったのは、大学へ入学してからだった。仕事を本格的に受けはじめるのと前後して、国際運転免許を手元に置くようになった。
 
 そういうことを話すと、桃子から「恭也はぁ、年々、士郎さんに似てくるわねぇ」と悩ましい溜息をつかれてしまった。乗り物なら、何でも手を出したとーさんと一緒にしないでほしい、と心の中で反論しておいた。無論、乙女モードにはいった桃子に通用するはずもなかったことを記しておく。

 


 目的地付近で車を降りる。ここからは、山歩きしなければならない。山へと伸びている道は人の出入りが頻繁らしく、オーカー色した土が、かたく踏み固められていた。ここ最近の内に、どうやら雨が降ったらしい。本来なら、さらりとした土が適度に湿り気をおび、足首に負担をかけない固さを維持していた。このコンディションならば、砂埃が風で吹き飛ばされる心配もないだろう。いいタイミングで訪れられたものだ。
 山道は思っていたよりも幅広だった。地元民が森に入るのが、常なのだろう。アスファルト舗装こそされていないものの、軽トラックすら走行が可能だろうと見受けられた。熱を放射しないことを考えれば、舗装道路よりも歩きやすいかもしれない。
 そのまま十数分、道なりに進んでいくと、本流の道路と支流の細道に枝分かれしていた。事前資料だといって渡された地図からすると、細道に入るのが正しいようだが……。正直に言って、これが道なのだろうか、と心配になってくるほどの悪路ぶりだった。忍などあからさまに尻込みしていた。無理もない。この悪路は、想像のななめうえを行っていた。

 地図を再度、確認する。こまめに確認しつつ道を歩んでいたのだから、この道を入っていくのが、おそらく正解だろうと分っている。そうであっても、この先へ進むのは、すこしばかり勇気がいった。
 端的に言って、今まで進んできた道と印象がまったく異なるのだ。

 先程までの道は、山道ながらも住民の往来があり、生活道路として活用されていることが知れた。だが、しかしこの先のそれは違う。かろうじて本道との合流点は大地が見えているものの、森の奥へと消えている道の大半は長い雑草に覆われ、その全体像を悟らせない。まったく予想外の難所が待ち構えていたものだ。

 彼が一人ならば、道を外れようがどんな形であろうとも無事に下山する自信はあった。しかし、今回は一人でおこなう山ごもりでなかった。視界をくらく閉ざす背のたかい木々や、ひそかに聴こえてくる動物の息づかいも、不安を助長させていた。
 一人で考えていても仕方がない。ひとつ息を吐き、足をとめる。先導していた彼の停止につられ、二人の足もまた小休止へと移行した。

「ノエル。目的地への道程は、これであっているのか?」
「少々、お待ちください。…………おそらくは、この道で正解かと」
「ねぇ、ノエルぅー。あと、どのくらいかかるか、わかる?」

 忍の声にも張りがない。おそらく、それほど熱心に予定が知りたかったわけではあるまい。不安を紛らわせるために、会話のきっかけをつくったのだろう。無理もない。元々、現代ッ子の鏡のような生活をしていた彼女のこと。いくら夜の一族といえども、このような山道を進むには少しばかり荷が重い。かててくわえて、予想外の難所に恭也すら戸惑っているときた。ここまで揃って、弱気な発言をするなというのは、いささか酷だろう。
 
 かくいう恭也とて、余裕に満ち溢れていたわけではない。不安はもちろんあったし、一人だけの気楽な山ごもりでもなかった。それでもノエルから返ってきた答え、そのすべてが、今までの道程を肯定していた。ならば、現在は不安をおさえつけ、目的地への道程が順調に進むことを祈るしかないではないか。
 意を決し、先へ進むことを告げた。



 まさしく獣道という言葉がふさわしい狭い道をゆく。背の高い広葉樹は道の両脇へと不規則にその根をおろし、日の光を遮っていた。そのため、昼間であろうともあたりは薄暗い。木陰が生み出され、歩くのに適した涼しさといえば涼しさだったが、今にもそこかしこの茂みから獣が現われそうな気配がするのは、観光名所として減点対象だろう。
 舗装された道と違い、このような雑草に覆われた道を歩くのは結構な労力が必要だ。踏みしめられ折り重なった草の山は不安定で、足首に負担もかかりやすい。彼やノエルならまだしも、忍のようなインドア派にはいささか辛い道行だろう。ふつうに進むのすら辛いのに、喋りながらなどもってのほかだ。彼は、黙々と歩くのに専念する。それが一番、彼女の体力を消耗させない選択肢だと知っていたから。
 ただ、やはり、このような単純な道行だと、暇を持て余すのは仕方のないことだった。会話するのも憚られるとなると、おのずと想像をたくましく働かせてしまう。

 昼食を購入がてら、目的地について麓の村で聞き込んだ。それによると、なんでも地元の人間でも、ここら一帯には足を踏み入れないらしい。これだけの規模の森林地帯ならば、多種多様、豊かな森の恵みを期待できるだろうに。
 かててくわえて、村民の口ぶりも不自然だった。陽気な商売人らしく、話題豊富な会話をふってきていたのに、森の奥の屋敷に触れようとすると、とたん口が堅くなる。まるで、喋りたくない、何かがあるようだった。態度も、あまりに不自然すぎた。しかも、ご丁寧なことに、目的の場所――幽霊屋敷には近づかないほうがいい、と忠告さえしてきた。

 幽霊屋敷とはあまりにも真実味のない言葉だが……。ホンモノのオカルトを知っているだけに、冗談と笑い飛ばすこともできない。その上、道なき道を薄闇のなか進んでいるこの状況。ともすれば、性質の悪い不安に襲われそうになる。

「すこし休憩するか」

 後方をみ、息の上がった忍で視線を止め、恭也はそう切り出した。そこらにあった大きな岩に腰かけ、背負った背嚢からペットボトルを放り投げる。狙いと一寸も違わず、投擲物は忍の右手に納まった。

「水分補給をした方がいい。どうやら……もうすこし歩かないといけないようだしな」

 恭也の視線は延々と続いているであろう山道へとそそがれていた。目的地の“も”の字の見つかる気配はない。見える範囲にあるのは、それこそ雑木林のみ。自然溢れるといえば聞こえは良いが、実際に歩くとなると、文明社会に慣れた者には退屈をもてあます地形だった。

「疲れたか?」
「うん。思ったよりも大分、ハード」
「……ノエル。手隙の時間でいいから、忍にマッサージ、してくれないか?」

 いつもと同じように傍らに立っていたノエルはその要請に無言で従った。忍も拒否するだけの元気がないらしい。されるがまま、足を投げ出していた。
 忍の細く白い脚を、ノエルの指が這っていく。的確にツボを刺激し、筋肉の間に溜まった疲労物質を排出するように揉み解していく。熟練した按摩師さながらの技に、忍は悩ましげな吐息をはいた。

「……なぁ、忍」
「なぁにー?」
「今更だが……あんなに簡単に引き受けてよかったのか? この仕事、額面ほど簡単でも、安全というわけでも、ないのだろう?」

 心に引っかかっていたのは、そのことだった。忍はあまり遠出をするような性質じゃない。いくら親しい人――さくらの頼みとはいえ、気軽に外国へ飛ぶのを引きうけるほど熱心な性格でもない。

「……うーん。今回のは、さ。さくらへの義理ももちろんあるけど、あたしにとっても渡りに船だったから……ね?」
「そうか。合点が行った」

 そう言って、忍はノエルの横顔を盗み見た。それは一瞬にきわめて近い刹那のことで、いくらノエルといえども気付けなかった。忍のその反応が、言葉よりも雄弁に本当の理由を語っていた。

 半刻ほど経った頃だろうか。忍の顔面に現われていた疲労が、こころもち薄れていた。ノエルは主人の体調と今後の予定を秤にかけたのち、手を止めた。屈んでいた膝を伸ばし、恭也へと向き直る。

「恭也さま」
「……あぁ、出発しよう。日が暮れる前に目的地に辿り着けるといいんだが……」

 いまだ続いている道の向こうへ目線をやる。そこはまるで無限に延びていると思えてしまうほど、果てがなかった。うんざりする気持ちを押さえつつ、荷物を背負った。永遠に続く道はないのだから。いつかは、きっと目的地へと続くだろう。
 そうして、彼らは再び山道を歩き始めた。




 進むにつれて、かろうじて人も歩ける獣道から、歩くのすら難儀する獣道へと変化していった。おおいに茂った枝葉が道をふさぐことなどしょっちゅうで、ココ最近の人の往来は皆無といった風情がそこかしこからにじみ出ていた。さらに、コチラの動向をうかがう獣の気配が多くなってきていた。
 湧き上がる不安の種を、ひとつひとつ押しつぶしていく。たとえ道をまちがえていたとしても、ノエルがいる。忍の一人や二人、無事に麓まで届けることなど容易いだろう。ここまでの道程はほぼ一本道で、脇道にそれた可能性はひくい。それに尋ねる屋敷は、自動人形をつくった天才人形師が住んでいたものだという。言葉面だけ見れば、いかにもこのような僻地を好みそうではないか。

 ワオォォォォーーーーン。どこからともなく犬の鳴き声じみた音が聞こえてきた。いや、欧州という地から察するに、狼の遠吠えなのだろうか。犬のそれとは、似ているようで微妙に違っているような印象を受けた。
 馴染みのないその音は、一般人の身をすくませるに充分事足りていた。その遠吠えは、洞や幹に当たってなんども木霊し、耳にいつまでも残留する。無数の障害物によって音が反響し、距離感が微妙につかみづらい。


 急ぐべきか、それとも。


 すぐさま一行を襲いかかれる位置に、気配はない。ほっと胸を撫で下ろす。

「……気をつけろ。獣のテリトリーに入り込んだら、厄介だ」

 後ろを歩く忍とノエルに、振り向いて忠告した。野生の獣は自身の領域に敏感だ。知らず入り込んで、要らぬ怪我を負うハイカーも多い。無論、恭也もノエルも腕に覚えがある。野生の獣の一匹や二匹、どうということはない。……ないが、いまのいままで自然に沿うがまま生きてきた動物たちを積極的に害するのは、さすがに躊躇われた。力を振るわずに済むのなら、それに越したことはないのだから。

 前方に向きなおる。首筋から一筋の汗が伝っていった。視線を道なりに進めていき、道が途切れるまでいっても、めぼしい変化はなかった。強いていえば目下の難関は、前方数十mにドデンと陣取る坂道だろうか。傾斜角度はそれほどでもなさそうだが、その距離はうんざりするぐらいありそうだった。

「行こう」

 前方の坂から運ばれてくる風が、首筋に張りついた汗を冷やしていった。ずれていたスポーツバッグの肩紐を直す。先は、まだまだ長そうだった。




 微妙に傾斜した道をすすむ。気分はすでにハイキング状態だ。いや、むしろトレッキングといった方が良いかもしれない。小高い丘あり、抜けていくそよかぜあり、小鳥の囁きあり、と自然を満喫できる道行きだ。あまり代わり映えしない、とりまく風景が難点といえば難点であったが。
 ふたたび小高い丘を抜ける。その天辺から、ようやく目的地らしき建造物が見えた。うんざりするほど緑色の森林が続くなか、目測で1キロメートル以内の前方にくすんだ灰色がポッカリと視界の一端を占領し、自己主張していた。人工物らしい直線で構成されており、おそらくは目的地なのだろう。
 恭也は、ホッとした。いくら仕事であり、情報ももらっていたとはいえ、人里から離れた場所を目指し歩くのは、気が滅入る。しかも、家族連れでとなると、彼の肩に背負われる責任はきわめて重くなる。知らず知らずの内に、余計な力が入ってもおかしくなかった。

「あれ、か?」
「おそらく……そうかと」

 答えたのはノエルだけで、ゼェゼェと荒い息づかいで返したのは忍だった。いい加減、忍の体力も限界に近いのだろう。休ませてやりたいのは山々だが、仕事は目的地について“ハイ、終わり”ではない。休むにしても、獣道の真ん中では不都合ありすぎる。

「もう少しだ。……忍、いけるか?」
「が、がんばってみる」

 弱々しいその返事に、ふかく相槌を打った。とりあえず、今は足を懸命に動かしてもらわないことには、仕方なかった。目指す目的地――自動人形をつくった人形師の館は、すぐそこにあった。










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