「令ちゃんなんか……嫌い!」
「由乃さん!?」

 細三つ編みを振り乱し、少女が駆け出した。癇癪が今日もまた、爆発したのだ。ビスケット扉が反論を封じるよう、一方的に閉ざされる。ツインテールの少女は一瞬、黄薔薇様ロサ・フェティダに視線をやった。視線は交わらない。時が止まったかのように呆然と立ち尽くしていたから。更に、少女は自分の姉へと視線を移す。コクンと形の良い顎が下ろされた。

「少し出てきます」

 真剣な表情で、足早にビスケット扉を開く。そしてもう一度。扉は閉じられた。
 祥子には手に取るように理解できた。扉の向こうの祐巳が、リリアンの嗜みなど歯牙にもかけず駆け出したこと。くっきりと祐巳の慌てようが想像できた。

「……よしの」

 突き出された手が力なく垂れ下がった。後に残されたのは、ぬるま湯のような静寂と影を背負った姉が一人。





 取り残された者と、追う必要性を認めなかったもの。薔薇の館のサロンには、最上級生の二人だけが存在した。二人の薔薇の蕾は只今、飛び出していったばかり。白薔薇姉妹は未だ、館に姿を見せていない。さし当たってやるべき業務は終了しているのだから。文句をつける謂れはない。それよりも……。

 口つけていたカップを静かに降ろす。ソーサに見事着地。その様は実に優雅で。僅かな物音しかさせないのは、幼少から培った気品のなせる業か。

「今日も派手にやったわね」
「あぁ……」

 山百合会の定例の行事になりつつある光景。今更、取り乱し心配するような酔狂さを、祥子は持ち合わせていなかった。おざなりな感想にはおざなりな反応しか返ってこない。妹のことで一喜一憂。黄薔薇が腑抜けになるのは、見飽きすぎるほど見慣れていた。
 親友を慰めるのも奮起させるのも。付け加えるなら事情を聞き出すのも、お手の物。

「……で、原因は何だったの?」
「由乃の妹について」

 形の良い細眉が僅かに近付いた。本日の喧嘩は少しだけ趣が異なるよう。自分にも強ち無関係ではなかったので、興味を惹かれたという点も否めない。その話題に喰い付いた。

「また、厄介ね」
「由乃焦ってるんだよ。何もそんなに急がなくったって、いいのに……」

 双方の考えが、おぼろげながら理解できた。令はおそらく。納得良く妹を作って欲しいのだろう。妹の妹――孫に対して嫉妬しているやも知れぬ。由乃は、ロザリオ授受が早かったから尚更焦っているのではないか。姉は早かったのに、妹はしごく遅いと言われないように。

 趣は異なるけれども。結局はいつもの姉妹喧嘩ね。そう結論付けたのだった。 





「祥子はどうなの? 祐巳ちゃんに、妹ができてしまっても」
「……」

 ぼんやりした瞳のまま、云う。何気なく思い浮かんだ。そんな印象が強かった。今だ平時の魅力的な光が、令の瞳に浮かんでいない。手の中で揺れる水面を祥子は見つめた。カップの底に写るのは、澄ました自分の素顔。怜悧な、見飽きた感のある面。

「いい妹を作って欲しいと。そう思うわ」

 瞼が閉じられる。暗闇の世界に浮かぶのは、微笑を浮かべた妹。祐巳に奉げるように。一字一句噛み締め、彼女は心情を吐露した。

「嘘」
「あら……どうして?」

 ピクリと。片眉が釣り上がり、深い漆黒の瞳が細まった。うなだれた格好のまま。覇気のない言葉が紡ぎだされていく。



「笑ってないもの。判るよ、そのぐらい」
「……」

 言葉を失った。祥子は自分が素直であるとは思っていない。嘘を吐くのも上手いとはいわないが、それなりにサマになっているはず。経験に裏づけされたそれを、令は一蹴した。

 思い知らされた。小笠原祥子にとって、支倉令は特別なのだと。
 全否定されたというのに、苛立ちが少しも湧いてこない。姉に。卒業した姉に否定されたならば反発もする。祐巳にしても同じことだ。祥子は親しければ親しいほど、怒りが激しくなる性質を持っていた。
 しかし、その法則に令だけが当てはまらない。二人の間に上下はなく、祐巳や蓉子とは違う意味で自然体でいられる。適度に強がりもするし、適度に弱みも見せられる。無二の親友。

「……認めるわ。妹なんか作って欲しくないって思ってる」

 艶やかな唇から零れた言葉。鬱屈された感情が吐き出された。諸手を上げる振りまでする。驚くほど爽快な気分になっていることに、祥子は気付いた。溜め込むよりも吐き出した方が楽になる事もある。

「駄目な姉だね」
「悪い?」

 呆れた感じの笑顔。唇を子供のように尖らせ、反論した。心許しあった対等の友人だからこそ、言える我侭。

「そんな事ないよ。私だって……由乃に妹なんて。想像したくない」
「そうね」

 冷めかけたティーカップを口元へ引き寄せる。我侭な祥子が嫌いなもの。冷めた紅茶の風味もその一つ。だが、今は。その苦味を何よりも必要としていたかもしれない。



「私と祥子と志摩子。由乃に祐巳ちゃんに乃梨子ちゃん。六人だけで充分」 

 ポツリと呟かれた言葉。小音量だが蠱惑的な魅力の響きとなって、祥子の耳に届いた。

「充分だけれども、充分ではないわ。令、貴方……山百合会の一員なのよ。許されないわ」
「別に、山百合会メンバーだから必ずしも妹を作らなければならない、なんて事ない」
「……そうね」

 同意には、あからさまに躊躇いがあった。座りの悪い沈黙が部屋中に散布される。コンピューターのように優秀な頭脳が回転していた。先代の白薔薇様――聖もそうだった。志摩子を妹にするまで長い間、妹を持たなかった。例え、山百合会の三役であり、その妹が次代の三役になろうといえども。姉妹スール間について、誰も強制できない。次代の薔薇さま枠が開けば、誰かが選ばれ、収まる。
 結局、外向きにはその程度の慣習でしかない。



「お姉さまは」

 言葉が途切れる。艶やかな唇から漏れ出した音は、どこか迷い子のよう。帰るべき方向を見出せず、ただ幼子のように戸惑っていた。

「お姉さまはどう思っていたのかしら?」

 言外に孫についての正解を欲していた。その声音には懇願の成分が含まれている。
 行き詰まったこんな時。思い浮かべるのは先代の薔薇さま方。歴代最高のメンバーと言って差障りないほど。心身ともに優れたお方、お姉さまだった。少なくとも蕾に弱音を見せはしない。妹贔屓目を抜きにしても、素晴らしい人たち。

「こんな時、お姉さまが傍にいてくれたらな……」

 だからこそ。頼ってしまう。
 自分たちに薔薇さまの座が相応しいか。なんて問われれば、NOと答えるだろう。彼女たちにとって薔薇さまといえば。先代の薔薇さま方。自分たちは蕾でしかない。数ヶ月経っても薔薇さまの呼称に。微妙な違和感を感じていた。

 祥子は一言も喋らず、ティーカップを口もとへ引き寄せた。含もうとした矢先。陶磁器の白い底が見えていて、自分の失敗を知った。

「ゆ……」

 咄嗟に出そうになった言葉を飲み込んだ。失敗続き。この場にいない妹に催促を頼もうなんて。はしたなく舌打ちが出そうになる。……気付いて止めたが。どうも調子は狂っているようだ。

「あぁ、もう!!」
「祥子?」

 急に騒ぎ出した親友を訝しげに視線を飛ばしてきた。元はといえば令の、どんよりした影を纏った一言が原因だというのに。心配そうに驚いている。その人畜無害な穏かな表情を見てしまったら、もう。決断した。

「さぁ、私には関係ないことです」
「祥子?」

 令はただ、困惑するばかり。どこが気に障ったのか、何に怒っていたのか。さっぱり理解不能状態。

「祐巳が妹を作ろうが作らまいが、私と祐巳の関係には関係なくって?」
「……はぁ」

 流石、そこは紅薔薇さま。懇切丁寧に黄薔薇さまに説明申し上げる。爽やかなイイ笑顔とともに。

「私が祐巳を愛でるのに、孫の許可は必要ないわ。誰がなろうと構うものですか」

 そう。結局、祥子は祐巳なしではいられない。祐巳から離れるなんて事できよう筈も無い。祐巳の妹に誰が収まろうとも関係も無い。ないない尽くしで、開き直り完了。遠慮など彼女には似合わない。いつも毅然とキビキビと。中世の女王のように歩いていくのが似合い。





 10月の空は馬鹿みたいに高く。馬鹿みたいに青い。馬鹿みたいな些細事も吹き飛ぶというものだ。









END

(040613)
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