ASISTER






 18世紀後半、産業革命が起こり倫敦は世界有数の工業都市へと変貌した。相次ぐ戦乱により幾度も主が変わり、その都度混血が進んでいった人種たちの国家はそれを機に世界の一角を担う国力を持つ事になった。軍事力もまた女王のための英国艦隊が1500年代にスペイン艦隊を打ち破り、最強精鋭の呼声高く、まさにこの世の春といった風潮を擁していた。その発達した経済、技術をもって亜細亜、阿弗利加、諸所の途上国へと進出し、植民地化を行った事はプライマリースクールの教科書にも記されているところである。18Cの栄華を極めた大英帝国ではあったがその実、国内には様々な怪異が横行したのも正統派の歴史書に記されぬ一面の事実である。
 それら怪異の大量発生は急激な成長における余波みたいなものであった。目まぐるしく変わっていく環境に人々が対応し切れないことが一因でもあったのだろう。強盗、殺人、ホームレス、詐欺……ありとあらゆる罪悪が当時の英国の裏通りを闊歩した。それら凶行の舞台はなにも宵闇だけとは限らなかった。白い濃霧も時に加担していたのだ。

 極端な工業化推進の弊害。大工場からはスモッグが発生し、彼の島国を白い煙で覆う事になったのである。元々、霧が発生しやすい地域であることは土地の人間には馴染み深い事象であった。だが、産業革命は闇よりも深い白き闇を創りだした。日の光さす昼間から濃霧に覆われる事も、当時の倫敦では決して珍しくなかったのである。



 これが霧の都“倫敦”と謳われたる由縁である。



 現在のその地はというと。濃霧の隙間をぬって怪異が現れそうな、魔都と言う印象は薄れている。精々が田舎とモダンが混ざり合う古都といった風光明媚な都市だ。年季の入った石造りの道路を二階建てバスが走る様は、観光客ならずとも一度は目にしておきたいところである。
 話がずれた。魔都という印象は薄れていると前述したが、怪異の影が完全に無くなったわけではない。自然と人工物が調和した街並みはピタリと嵌っているようで、どこか歪みが生じている。まるでピースの欠けたパズルのような違和感。カンが鋭い者ならば、少し街道を歩くだけで気付くだろう。そこかしこに存在する、歪で異質な空気に。

 その事実の裏を返せば、倫敦という都市は特定の人種にとってはうってつけの街なのである。自身の放つ歪な空気を、街自体が覆い隠してくれる。異端異教の徒たる自身の匂いを打ち消してくれる。
 卵が先か鶏が先か、どちらが果たして先だったのか。現在を生きる我々に答えはようとして知れないけれども、特定の人種――魔術師が闊歩する最大の一因が英国の倫敦にはあった。魔術師の最高学府、時計塔の存在である。
 この時計塔という機関について、知られている事は数少ない。魔術師自体が隠避の徒であるからして、巷の噂に登ることはありえないのだろうが。それにしても在野の人間に対し、与えられている情報は希少だ。
 
 彼女――遠坂凛も、協会に呼び出されるまで数少ない噂でしか、時計塔について把握していなかった。冬木という特殊な土地のオーナーであるにも関わらず、だ。彼女自身の性質は横に置いておくとして、魔術師協会に籍をおく連中の偏執的なまでの秘儀隠匿の結果がここに表れていると言えよう。
 さて、前述の人物――遠坂の現当主。遠坂凛は稀代の魔術師である。アベレージ・ワンにして宝石魔術の使い手。キシュア・ゼルレッチを素とする遠坂家の歴代当主の中でも、一二を争う実力の持ち主である。彼女は聖杯戦争を機に“万華鏡”の直弟子たる名誉にありついた訳だが……この爺さん、魔術の腕もさる事ながら、大層、変わり者であった。
 無茶難題を吹っかけるのは日常茶飯事。スパルタこそ教育・修業・研究の本質と言わんばかりの所業の数々。今まで与えられた課題一つとってしても、楽に終えられた例はない。彼の弟子になるのは分の悪い博打だという評価も、実体験した凛にはすごい勢いで首を縦に振って頷けた。現に同時期に彼に弟子入りした三人の内、一人は既についていけず……廃人とかしてしまった。今ごろは幸せな夢でも見ているだろうか?





 見上げれば、大きな月が見えた。静々とした月光の中で街は死んだように眠っている。起きているのは、街灯と建造物によって生み出された影たちのような無機物ぐらいなもの。夜。それは、生きとし生ける者に等しく安寧たる眠りをもたらす。この星の何時如何なる場所であろうとも、夜は平等だ。古都だろうが、荒野だろうが、大海たろうが、故郷であろうとも例外はない。
 もっとも、知恵によって本能を抑制するヒトという種に限っていえば、夜の眠りは必ずしも当てはまらない。実際に英国一都市の片隅にて、眠りにつくことをいまだ許されていない女性が一人いた。

「なんだってのよ、もぅ!」

 石道の真中で、肩を怒らせ帰路に着いているのは、見目麗しき女性。漆黒な髪をストレートに垂らし、抜けるような白い肌と相俟って、神秘的な印象を与える。一見、異国のお姫様のようにも見える。黄色人種など昨今の国際社会において珍しくもないが、彼女の美貌は際立っていた。
 白磁のような肌はきめこまやかで、触れればシットリと掌に吸い付くだろう。うっすらグロスを塗られた唇はふっくらしていて、吸い付けば何よりも優る弾力を返してくれるだろう。なにより印象的なのはその瞳。只今は燃え上がるような紅蓮の怒りを称えているが、時折、すべて見透かしたような輝きを放つ。眦は釣りあがりがちだが、反ってセクシーさが強調されていた。掛け値なしに、一級品の美女である。

「……それもこれも、アノ……偏屈爺の所為よね。こっちがうら若き乙女だってこと、忘れてるんじゃないかしら!」
 
 彼女、レンガ道を歩く様も勇ましい。一歩足を踏み出すたびにドスンドスンと大地が震えているのは、はたして幻覚だろうか。……少なくとも、彼女の怒りは天を突くほど激しいものであることは、疑いようのない事実である。それでも、彼女の怒りレベルはまだ可愛いものである。郷里の知人たちに意見を取ればこう言われるだろう。遠坂が本気で怒ったらはこんなもんじゃすまない、と。
 怒気を撒き散らしている彼女であるが正当な理由は無論、あった。愚痴るぐらいの権利はあるはずだと、彼女自身強く主張する程度には。

 その日、師からまたもや無理難題を吹っかけられた。過去の経験から回避しようとした彼女ではあるが、性格――負けず嫌いの頑固者――を突かれ、いいように引っかかった。其処までならば、半ば日常と化している茶飯事である。
 厄日の始まりはそれが切欠だった。いつもと違い、何でもないような事でミスること、十数回。幾ら最期の詰めが甘いとは言え、どうということはない魔術の制御に失敗するようならば、時計塔に籍を置いていない。バイオリズムの低下か。はたまた験が悪いのか。明らかに調子が悪い、いや悪かったというべきか。厄日が今日という日に限定されるのであれば、もう既に過ぎ去っているのだから。

「それよりも、それよりも……アイツのあの態度! あぁ、ムシャクシャする」

 思い返されるのは、西洋人形のような面を持つ同期生。ガント撃ちの達人であり、宝石魔術を得意とする彼女とは、端っから馬が合わなかった。すかした態度、馬鹿丁寧で嫌味になる言葉づかい、何もかもが気に入らない。
 何より寄宿舎が狭いという理由だけで館を買い取るという根性が気に入らない。凛は寄宿舎で我慢せざるをえないというのに、だ。同族嫌悪だと判っていても理解したくはない彼女の現実だった。
 そんな女がミスりまくる凛を尻目に言ったのだ。「ミス遠坂。どこか具合でも宜しくないのでは?」と。断言しよう、きっと彼女は凛のことを純粋に心配して言ったのだ。日頃、張り合っていたライバルが……らしくないから、少し気になったのだ。100%善意から出た言葉だったのだ。
 それが凛の琴線に触れた。癇癪は起こさなかったものの――そこまで子供でもないし、魔術師としての見栄があった――表情筋を抑えられたかどうかは定かではない。


 そして現在の苛立ちにいたる、とそういう訳だった。




 英国における凛の仮住まいは時計塔のもつ寄宿舎だ。全世界からより高度な魔術を学ぶため学徒が集まるだけあって、工房等、その道の設備は整っている。ほとんどの時計等在籍者が入居するのだから当然といえば当然か。
 一人暮らしの学生――学生の範疇に納まるかどうか知ったことではない――にしては、充分すぎる程のスペースがあった。これは生活スペースと研究用簡易工房スペースが混在しているためだ。ここまで贅沢に場所を使えるのも外国ならではだろう。ウサギ小屋なんて評される日本の住宅事情とは大違いである。

 凛は言霊と物理、両面の鍵でもって自室へ踏み入る。とうに住み慣れたとまではいかないが、生活臭のする部屋が静やかに彼女を招きいれた。コートを脱いで、ソファーへ無造作に放る。皺を気にしてハンガーにかけることすら億劫だった。
 億劫といえば……防犯上の理由及び魔術の秘儀を盗まれないためとはいえ、隠匿に時間をかけるのは正直、面倒くさいという考えも片隅に浮かぶ。こんなに疲労感に包まれている時は尚更に。
 こんな考えに囚われた原因は、きっとあの屋敷の所為だ。八つ当たりの方向性は決まった。……というよりも最初からそれしか選択肢はない。一時だけ居を置いていただけであるが、アソコは隠避を幼いときから叩き込まれた凛にとって、ひどく新鮮に感じられた。
 他人その他大勢の魔術師連中はそれを怠惰・堕落と呼ぶかもしれない。だが、そんな罵詈雑言すら気にならないくらいあの屋敷の結界、雰囲気は好ましいものだ。魔術師として生きることを決めた彼女自身が、普通人として生きられるあの空間は。

「……って、なに考えてんだろう、あたし」

 シングルベッドに倒れこみ、枕に顔を埋めてひとり愚痴る。らしくない、らしくなかった。遠坂凛ともあろう者がいくらどんなに疲れていようと、泣き言を考えてしまうとは。父が倒れたときに魔術師として生きることを決意したのではなかったか。そんな風に決意を新たにしても、不意に過ぎった想いは消えることはない。

「あーーぁ、疲れてると碌なこと考えないわ。……寝よう」

 一人で暮していると自然、独り言も多くなってしまう。人前ではあまり出さないようにしているが、小さな頃から大きな館に一人きりで住んでいた彼女の悪癖だった。いや、研究派魔術師という人種自体が人前に出ず、工房に篭りがちであるが故、魔術師の悪癖ともいえるだろう。それに……もはやこの年齢までくると治しようもない。人、コレを“開き直り”という。


 肌触りの良い布団に身を横たえていると、眠りがすぐにやって……こない。二度、三度。髪が乱れるのも気にせず、ポフンポフンと額を柔らかな枕へ押し付ける。疲労は勿論、眠気も存在する。だが、しかし眠れない。快眠を阻害する要因が彼女の内で膨れあがっていた。押さえきれない熱の疼きが彼女の肢体を蝕んでいたのだ。そう、眠気すら吹き飛ばしてしまうような、強くも抑えがたい肉の疼きが。

「……ハァー、フゥ……」

 寝返りをして、うっすら汚れた天井に視線をやる。どこか焦点の合っていない瞳はたしかに情欲の色に濡れている。ふっくらした唇からこぼれ落ちる吐息も艶めいていた。魔力の暴走にも似た熱が、肉体の各所に宿る。理性の鎖で押さえつけていなければ、指を秘部へと運びそうな衝動。ナグサメタイ。そんなストレートな欲望が理性に罅を入れ始める。

「んッ……」

 耐え切れず、少女は欲望のままに動くことを決めた。顔の前に突き出した中指の先を、真紅の舌先で舐める。濡れた指先の行方は本能が知っている。三大欲求の一つに導かれた、少女は一人遊びに耽る。





 イタシテシマッタ後は、いつも気怠るさと惨めさが襲ってくる。魔術師といえども人の子。他人の体温がどうしようもなく欲しくなる時だってある。そんな風に心を誤魔化すのも倫敦に来て、慣れた。それに……アノ狂った戦争を経験するまでは、自身が寂しいと感じていることにすら気付いていなかった。楽しい時間があったからこそ、寂しいと思えるのだ。そう考えると……案外、悪くないのかもしれない。
 不意に気付いてしまった。寂しいのだ、彼女は。

「……って、チョット? ……ぁーぁ。なるほど、ね」

 認めたくはないが……ホームシックにかかっているようだ。難儀なことだ。しかも、帰るべき家と出された時、想像するのは住み慣れた遠坂の屋敷でなく、妹と菫色の髪をした美女と鈍感の住む衛宮邸だったりするのだ。もう重傷なのかもしれない。何が、なんてこと緻にいり密にいり考えたくない、ないったらない。

 ひとまず心中に蹴りをつけ寝返りを打つと、夜景が目に入る。ガラス窓の向うに満月の姿があった。怒気に支配されていた先程は気付かなかったが、大きくてまんまるにみえる地球の衛星は穏かに自己主張していた。
 そういえば……元は地球の一部だったとかいう説もあるらしい。一番、身近にある星でありながら、その出自ですら解明されていない。謎を内包しつつ、月はいつも人の頭上で静かに輝いている。そう、いつも在るのだ。関連性があるのかないのか。少なくとも現在は判らないけれども、月の満ち欠けに人の精神は少なからず影響されるともいう。

「……今夜は満月だったのね」

 ルナティック・ハイだとか、満月の夜は犯罪が増えるだとか。魔術師も例外ではない。体内の魔力オドが反応するのか、月の魔力マナが大地に満ちるからなのか、知らないが事実、精神が昂ぶる。
 ひっそりと輝きつづけるフルムーンを見つめる。表面の凹凸が、大気の屈折関係が作り出した陰影が、知人の顔に見えてくるのは人の想像力の逞しさを示しているのだろうか。
 長い期間、距離をとっていた妹の。現世に留まることを決めた女性騎士の。夢を諦めて、妹を守ることを決断した馬鹿の顔が浮かび上がってくる。……胸に開いた穴の正体がつかめた気がした。

「……電話、しよっかな……」

 らしくない、魔術師遠坂凛らしくないけれど……。たまには、休憩してもいいかもしれない。明るい……影をはらった妹の声を聞いて。茶々を入れる菫髪した美女の顔を想像して。鼻歌交じりに料理を作るバカと話をして。顔を綻ばせるひとりの姉になっても……。誰も文句なんていわない。否。誰にも文句なんていわせない。

 思いたち、凛は受話器を取った。






 FIN


(041225)



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