AGIRL







 若々しい新緑が映える朝焼けの中。瞳を開けるのが彼女の日課だった。遺伝子の性なのか血流が四肢に行き渡るには時間がかかる。柔らかなベッドの上で、ニ、三十分程、のた打ち回るのも日課だったりするのだが、愛しい人には未だばれていない様だ。あれで存外……見たまま鈍い所があり、その辺りが彼女をして射止めるのに時間がかかった由縁なのだが。

「う―――?」

 まるで幼子のような声を出す少女。蒲団に縋りつく姿は、微笑ましいとも無邪気とも。寝巻きの首筋から零れる女性らしい膨らみは、ご立派だったりする。私脱いでも凄いんですよ、面目躍如とはこの事だろう。

「よじさんじゅうにふん」

 寝ぼけ眼で、少女趣味な目覚し時計を掴む。予定通りといえば予定通り。毎度の儀式といえば、毎度の儀式。ペチペチと柔らかそうな桃色のほっぺたを叩いて、眠気を逸らす。未だ、幼子のようなラインを残す童顔の彼女には、このような無防備な動作が良く似合う。最も、本人はスマートに大人っぽくなりたいと願っているようだが。



 身体を被い尽くす蒲団。どうするにせよ除けなければならないはずだが、彼女の腕は持ち主の意を裏切る。もしくは主の欲求に、この上なく忠実なのか。錆び付いたブリキ人形のような、ぎこちない歯車動作。シンプルだが複雑な二つの感情のせめぎあい。即ち、もっと眠りたいと、もう起きなきゃ。
 脇から見える赤みの指した肌たるや、人形という印象を打ち消してくれる。おぼつかない手がふらふら彷徨いながらボタンを外す様は、はっきり言って彼女の姉とよく似ていた。血は争えないといったところだろうか。




 何とかかんとか着替え終えた。所有時間については、言及しない方が彼女の為だろう。お世辞にも平均学生レベルとは言いづらかったとだけ。
 未だはっきりしない意識を抱えたまま、バスルームへと向う。板張りの廊下は足裏にひんやりとした感触を伝えてはくれるものの覚醒にまでは到らない。彼女の低血圧っぷりは筋金入りなのだ。以前はもう少し早い時間に覚醒し、シャワーやらなんやら恋する乙女の必須事項を終えていたのだが。家を移ってからは、堕落っぷりに磨きが掛かってきたともっぱらの噂。
 彼女の姉や親友に言わせれば、信頼を寄せるようになってきた良い傾向なんだとか。あんまり彼女自身、よく理解できてはいない。そうなのかなといった程度である。




 風に揺れる頼りない風船といった感じに歩を進める。早朝の爽やかなそよ風が、髪を靡かせた。
 衛宮邸は古きゆかしき和風建築である。生きた風が通るように設計されているだけあって、自然そのものを感じることができる。風はおろか光、音。穴倉のすえた臭いで満たされていた間桐邸とは大違いである。

「……いいかぜ」

 寝ぼけ眼のまま、肌に触れる感触を感じるまま。満ち足りた表情で彼女は呟いた。そこに表情を被い尽くす影は存在しない。不安も罪悪感も残影のように立ち揺らめいている。犠牲にした人たちの怨嗟の声を、現在も夢に聞く。それでも、それでも尚。
 彼女は笑えるようになった、微笑むようになった。許しを与えられたから。打算のない愛を与えられるようになったから。





「おふろ」

 広めの脱衣所に着いて彼女は呟いた。どうやら眠気の精は未だ居座ったままらしい。どこか焦点のあっていない瞳で寝巻きのボタンを器用に外していく。前面のボタンが全て外されると、大きなプリンが二の腕の動きに合わせ揺れる。これでまだ成長途中だというのだから。間桐桜、恐るべし。
 シンプルな飾り気のないショーツと合わせたブラ。昨夜、秘め事を終えた後に変えただけあって、バリバリの勝負仕様ではない。毎度、勝負下着で着飾っていれば命が危ない、主に士郎の。末は過労死か腹上死か。赤球が出るには切なすぎる年齢だ。


「……よいしょ」


 器用に片足立ちでショーツに手をかけた。これでまだ寝惚けている最中だというのだから、彼女、実は器用なのかも知れない。それとも睡眠中のほうが性能が高いとか。遠坂の血は謎に満ちている。
 使用済み下着を洗濯籠の奥のほうに押し込む。汚れというほど汚れてなどない。だけど間桐桜は恋する女の子。愛しい人の前では飾っていたいのだ。半ば同棲状態にあるといえども羞恥心は忘れていなかったりする。





 ガラガラーッとくもり硝子戸を開く。もうもうと揺らめく湯気が彼女をお出迎え、なんて事はなく。お湯も張っていない浴槽が裸体のままの彼女を迎え入れた。
 春とはいえ、裸一枚の身では風邪を発症しかねない。普段より少し熱めのシャワー。湯冷めして看病してもらうのも勿体無い気がして、彼女は熱めのシャワーを浴びることにしている。確かに士郎の手ずから看病してもらいたいと言う欲求も存在するのだが。
 一度くらい夢見てもいいではないか。いとおしい人に甲斐甲斐しく看病される自分を。聖杯戦争のことは数の内にいれない。なんだか悔しもったいない。

「ん」

 覚悟を決めて、お湯を頭から被る。素肌に直接当たる熱が低回転の頭に心地よい。温もりを分け与えてくれる流れが愛しい人の肌のぬくもりにも似ていて、柔肌が淡く染まった。心臓がキュンと高く鳴いたような、そんな感覚。
 馬鹿みたいだなと彼女自身思うし、実際その通りだ。恋愛は“はしか”に似ていると謳った本があったが、その通りなんだろうとも思う。でも。その勘違い熱が一生続けば、それはなんて素敵なことなんて思ったりしている辺り、もう引き返せないのだろう。最も、引き返すことなんて彼女の選択肢には存在していないのだが。





 途切れなく当たる水滴の粒を、素肌が弾く。その瑞々しさはまるで熟れた西瓜のよう。斜めに持ち上げられた顎のラインを伝う雫が、年齢に似合わない色気を醸しだしていた。聖女ではなく悪女でもなく。健康的な艶姿。
 ノズルを廻し、顔を濡らす水流を止める。いい加減、浴室から出ようとしていた彼女はそこで気付いた、人の気配に。浴室と脱衣所を隔てるくもり硝子の向こう。ぼやけた肌色の物体が動いている。



 トクンと大きく一つ、心臓が悲鳴をあげた。
 ある考えにたどり着いた彼女は、何処かで否定しながらもその状況を希望していた。普段の彼なら気付く筈、だけど疲れた彼ならば? 


 羞恥は確かにあった。だが。それは恥かしさと引き換えにしても魅力的なエデンの果実。チロチロと彼女の足元で、蛇がとぐろを巻く。胸中で彼女は謝る。ゴメンなさい、桜はワルイコなんです、と。





 かくして、扉は開かれた。
 早打ち心臓で迎える少女。暢気に鼻歌を歌い侵入する男。ニアミスどころではなく衝撃の出会い。見ずとも手に取るように判る。普通から茫然自失、そして羞恥の紅にかわる男の表情を。アワアワと言葉にならない声を発して、逃げるように踵を返す。
 その撤退を目にして、少女の意は決した。ゆっくりと開かれる唇。精一杯、背伸びした蠱惑の表情で。



「せんぱい……一緒、しませんか?」

 甘い声色が可愛らしくねだった。








 衛宮邸の縁側には、一人の美女が腰掛けていた。ジーンズに包まれた美脚が一定のリズムを刻む。ぶらぶらと、暇を潰す振り子のように。実際、彼女は暇を持て余していた。胃もキュルキュルと抗議の声をあげていたりするのだが。

「ハァ」

 でも、仕方がなかった。始まってしまった物は仕方がない。桜はあれであーだし、士郎も十二分といっていいほど若い。人形の肉体とは思えない位に。

 それに空腹を覚えているのは気のせいでしかないのだ。その身はサーヴァント。多量の魔力さえあれば存在を支えるのに充分。だというのに胃が寂しいのは、今までの習慣の所為。朝食を与えられないことぐらい……問題はない、ないったらない。




 面を上げれば、涼やかな春風に温めの太陽光。頬を撫でる陽光がくすぐったい。だが不快感は存在しない。穴倉よりもよほど好ましく、緩やかな面持ちでいれるから。
 光を直視した事は何時ぶりだろう。考えてみれば、何時も何時も、自分の瞳に恐れをなしていたような気がする。見つめるだけで他人に害なしてしまう。武器として有用ではあるが、それ故日常で不必要。
 
 
「……朝からお盛んですね」

 浴室の方から聞こえる嬌声をバックグランドミュージックに、彼女は目元を緩めた。
 平和だ、とかく平和なのだ。それに比べれば、なんと可愛らしい事か。





 未来における衛宮家の風評に些か現実逃避しながら、彼女は二度目の睡魔が訪れる足音を聞いた。








 FIN

(040523)

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